パトリック・スウェイジの妻が11年ぶりに未確認の問題について沈黙を破る

1月 15, 2021 by apost team

伝説の俳優であるパトリック・スウェイジが10年ほど前に亡くなったことは、信じがたい事実です。ダーティ・ダンシング(Dirty Dancing)ゴースト/ニューヨークの幻(Ghost)に出演前からスターだったスウェイジは、永遠に私たちの心の中に生き続けています。残念ながらスウェイズは膵臓がんとの長い闘病生活の末、2009年9月14日に亡くなりました。34年間忠実な妻だったリサ・ニエミは、その間ずっと彼の側にいました。

Patrick Swayze (1990), (Tim Roney/Getty Images)

リサ・ニエミは2011年に闘う価値があること(Worth Fighting For)と題した回顧録を書きました。 デイリーメール

は二人についての記事の中でニエミのストーリーを引用しています。ゆっくりと昏睡状態に入る前にパトリック・スウェイジが最後の言葉を残す時のことです。「私がパトリックに言った最後の言葉ですか?『愛している』です。これは彼の最後の言葉でもあります。彼を家に連れて帰った後、物事はあっという間に進んでいきました。」とニエミは書いています。

ニエミが小さく息を吸う音で目を覚ましたのは月曜日の朝でした。彼女は何が起こっているかについてほとんど子供のような感覚を覚えたと話しています。ニエミはスウェイジが亡くなる時がきたことを知りました。彼はその日のうちに亡くなりました。

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Patrick Swayze (1982), (Michael Ochs Archive/Getty Images)

スウェイジの早すぎる死から10年経った頃、新しいドキュメンタリーが放送されました。タイトルは 私はパトリック・スウェイジ(I Am Patrick Swayze)と題され、ニエミの人生が特集されました。ドキュメンタリーの中では、亡くなった夫のニックネームであるバディとの時間についてニエミが語っています。彼女はその昔、ステージに出て彼の目を見たときのことを語りました。それは最初から真実の愛だったのです。

Patrick Swayze, Lisa Niemi (1979), (Frank Edwards/Fotos International/Getty Images)

二人は10代の頃に出会い1975年に結婚しました。それは、スウェイジがローラーディスコをテーマにした映画スケートタウン USA (Skatetown, USA)で映画デビューする4年前のことでした。 それからスウェイジが2009年に亡くなるまで、2人はずっと一緒にいました。ニエミはエンターテインメント・トゥナイトで夫ががんと闘う姿を見るのはどれほどつらいことだったかを次のように話しています。

「その人の命のために戦う毎日を過ごすことは、この世で一番辛いことです。彼が自分自身のために毎日戦っていたことを知っています... 彼は22ヶ月間生き延びました。それは彼が受けた診断からすれば奇跡的なことでした。」

Lisa Niemi, Patrick Swayze (1987), (Images Press/IMAGES/Getty Images)

ドキュメンタリーは彼の成功だけを映し出したのではありません。アルコール依存症との葛藤もクローズアップされています。彼は普段楽しく陽気に振る舞いますが、一人になると酔い潰れニエミとの関係を緊迫し困難なものにしました。しかし、二人の結婚生活には多くの困難があったにもかかわらず、ニエミは彼を愛していました。

Patrick Swayze, Lisa Niemi (1988), (Jeff Kravitz/FilmMagic, Inc/Getty Images) 膵臓がんと闘っている間にスウェイジはザ・ビースト(The Beast) という連続テレビドラマに出演しました。ニエミは、スウェイジがこの役を演じている間に 変化したと話しています。彼はベッドの中で多くの時間を過ごしていましたが、シカゴにいたことが彼に驚くほどの大きなエネルギーを与えたようです。

「彼のエネルギーは私を驚かせました。彼は以前のように積極的にノンストップで行動しました。私はパトリックを取り戻したかのように思いました。彼も時折『スター』の行動を仄めかせました。いつも私を困らせていたように、土壇場で恣意的なリクエストをしてきたり、突然この世の中の全てのことをコントロールしたがるように権威的になったり。」ニエミは回想録に書き記しました。

Patrick Swayze, Lisa Niemi (1992), (Kypros/Hulton Archive/Getty Images)

また、スウェイジは癌と診断されたからといって、自分の仕事が楽になることを望んでいなかったとも語っています。彼の役が壁を飛び越えるシーンであっても、スタントマンの代わりにそれを自分でするとを主張しました。ニエミがドラマのセットで一緒に働くことでスウェイジは癌の診断を受けたにもかかわらず、より強くより幸せな気分になったと語っています。

最初の診断からわずか2年弱の2009年9月14日に、スウェイジは膵臓がんでこの世を去りました。私はパトリック・スウェイジ(I Am Patrick Swayze)は、彼の誕生日である2019年8月18日に公開されました。10年経った今でも、ハンサムなスターのファンは、彼について知ることができるすべてのことを知りたいと切望しています。

Lisa Niemi, Patrick Swayze (2005), (Goffredo di Crollalanza/FilmMagic)

1952年8月18日テキサス州ヒューストンで生まれたパトリックは、母親のパッツィーが市内でダンススタジオを経営していたことから、ダンサーとして、またスターとしての道を歩むことになる運命にありました。ダンスの世界で生まれ育ったパトリックはそこで様々なスタイルのダンスを学び、ニューヨークに引っ越してジョフリー・バレエ・スクールでバレエ教育を修了しました。

間もなくスウェイジはブロードウェイでダニー・ズーコ(Danny Zuko)役を演じ、ダンサーとしての訓練と演技を初めて融合させ、大成功を収めました。その後、テレビの小さな役を経て、フランシス・フォード・コッポラ監督のアウトサイダー(Outsiders) で兄役を演じ、初めて目立った印象を与えました。

1987年にダーティ・ダンシング(Dirty Dancing)で主演を演じ、素晴らしい名声を轟かせることになります。その年の8月に公開されたこの映画は、大物スターを起用しておらず、有名な監督も起用していなかったため、驚きのヒットとなりました。また、大々的に公開される予定ではなく、1週間劇場公開された後、ビデオ化が予定されていました。

しかし、予想は大きく外れダーティ・ダンシングは、VHSビデオが100万枚以上売れた初の映画となるほどの大成功を収めました。一方で、映画の魅力の大きな部分を占めるサウンドトラックも大成功を収め、映画のメインソングである タイム・オブ・マイ・ライフ/ (I've Had) The Time of My Lifeは、ゴールデングローブ賞アカデミー賞で最優秀オリジナルソング賞、グラミー賞で最優秀デュエット賞を受賞しました。

スウェイジはこの映画でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされ、長年のダンストレーニングが結実することになりしました。映画の中で演技とダンスをするだけでなく、スウェイジは映画のアルバムに収録された曲でありトップ10に入るヒット曲となったShe's Like the Windを共同作曲して歌い、ヴォーカルの才能も発揮しました。

Patrick Swayze (2004), (Jean-Paul Aussenard/WireImage/Getty Images)

このような成功によりスウェイジはハリウッドを代表する俳優となり、ロードハウス/孤独の街(Road House) ゴースト/ニューヨークの幻 ハートブルー(Point Break)などの映画に次々と出演しました。キャリア中でゴールデン・グローブ賞に3度ノミネートされた他、数々の賞を受賞し、1997年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのスターの座を獲得しました。

キャリアのピークを迎えた後も俳優として活動を続け、舞台にも復帰し、ガイズ&ドールズ(Guys and Dolls)に出演しロンドンのウェスト・エンド・シアターでのデビューを果たしました。 2006年にはドニー・ダーコ(Donnie Darko)に出演、妻のリサ・ニエミが共同プロデュースと主演も務めているダンス映画のダンス with me! (One Last Dance)をプロディースするなど、興味深い活動を続けました。スウェイジの最後の演技は、テレビドラマシリーズザ・ビースト(The Beast) でのFBI捜査官でした。

パトリック・スウェイジの残したレガシーは、多くの人に愛されている彼の映画だけでなく、彼と出会った多くの人々の中でも生き続けています。これは妻のリサ・ニエミだけでなく、共演者もそうでした。2009年9月に彼が亡くなった後、著名な友人たちから伝えられた愛の声は、彼がいかに素晴らしい人であったかを証明しています。ダーティ・ダンシングでスウェイジと共演したジェニファー・グレイは、エンターテイメント・ウィークリー(Entertainment Weekly)に掲載された記事で次のように語っています。

「パトリックは生身の男らしさと驚くほどの優雅さを兼ね備えた稀有な存在でした。ゴージャスで強い彼は、優しい心を持った本物のカウボーイでした」とコメントしています。

一方、ウーピー・ゴールドバーグは ゴースト/ニューヨークの幻で共演したパトリックについて次のように述べました。 「パトリックは本当に良い人で、面白い人だったわ。私が恩返しできないほどの恩人です。ゴースト/ニューヨークの幻でのメッセージを信じているので、彼はいつもそばにいるでしょう」とコメントしています。

Patrick Swayze, Lisa Niemi (2006), (Michael Tran Archive/FilmMagic/Getty Images)

リサ・ニエミもまた、今でも定期的にパトリック・スウェイジを想い、彼の記憶を絶やさないように頻繁にインスタグラムに投稿しています。2014年に宝石商のアルバート・デプリスコ(Albert DePrisco)と再婚したものの、スウェイジへの愛は続いています。ピープル誌に掲載された2014年の記事で、彼女はデプリスコに結婚を申し込まれるまでは、2人の男性への愛が衝突することはなかったと語っています。彼女は結婚式を挙げるかどうかで右往左往していましたが、最終的には信仰心から式を挙げることを決めたと同誌に語っています。

「アルバートは私がまだパトリックを愛していて、これからも愛し続けることを知っていながら 『あなたが私を愛していることを知っています。そして、私はあなたを愛しています』と言ったんです。この人と結婚しない理由はもうなかったわ。自分の人生の変化に慣れる時間があったので、そのうちに疑念がどんどん減っていき、ますます確信が持てるようになりました。」

それにもかかわらず、ニエミのスウェイジへの愛と献身はまだ続いています。ソーシャルメディアに彼についての投稿を頻繁にしており、死去から11年後の2020年9月14日には、インスタグラムで次のような感動的な投稿をシェアしています。

「彼の死去から11年目の記念日に、素晴らしく強く、繊細で特別な人を祝います。とても会いたいです。今日は(先週もずっと!)暗雲を感じずにはいられません 😥 でも、一緒にいられたことに感謝しています。🌈 なんて旅だったんだろう。涙と一緒ですが祝福を感じます。」

ニエミは膵臓がんとの闘病についての意識を広めるために彼女の時間を捧げています。最近、テレビ番組 ドクターズ(The Doctors)に出演し11月の膵臓がん啓発月間には、ソーシャルメディアに投稿するだけでなく、その原因についても議論しました。

パトリック・スウェイジは他に類を見ない存在であり、リサ・ニエミとの数十年に及ぶ結婚生活は記録に残るものでした。彼の生涯を通じて、そして彼が亡くなった後も、彼女の献身的な姿勢は二人の愛の証になっています。11年経った今でも彼の記憶を守り、命を奪った病気への認識を広めるために彼女が行っている活動は、本当に感動的なものです。

Patrick Swayze, Lisa Niemi (2007), (Denise Truscello/WireImage/Getty Images)

皆さまもパトリック・スウェイジのファンでしょうか?好きな映画は何ですか?コメント欄で教えていただけると嬉しいです。

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